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福岡高等裁判所 昭和43年(ネ)128号 判決 1970年10月08日

控訴人 附帯被控訴人(被申請人) 小野田セメント株式会社

被控訴人 附帯控訴人(申請人) 菅田泰介外四名

主文

一、原判決を次のとおり変更する。

(一)  被控訴人(附帯控訴人)菅田泰介が控訴人(附帯被控訴人)の従業員たる地位にあることを仮に定める。

(二)  控訴人(附帯被控訴人)は、被控訴人(附帯控訴人)菅田泰介に対し、金二四五、九八〇円及び昭和四四年一一月一日以降本案判決確定に至るまで一か月金六五、五一〇円の割合による金員を、既往の月分については一括して直ちに、その余の月分については一か月毎にその月の二五日限り仮に支払え。

(三)  被控訴人(附帯控訴人)後藤一十郎、被控訴人(附帯控訴人)中津留照武、被控訴人(附帯控訴人)足立靖彦及び被控訴人(附帯控訴人)佐藤正人の各申請並びに被控訴人(附帯控訴人)菅田泰介のその余の申請を却下する。

二、訴訟費用は第一、二審を通じ、控訴人(附帯被控訴人)と被控訴人(附帯控訴人)菅田泰介との間に生じた分は控訴人(附帯被控訴人)の、控訴人(附帯被控訴人)と被控訴人(附帯控訴人)後藤一十郎、被控訴人(附帯控訴人)中津留照武、被控訴人(附帯控訴人)足立靖彦及び被控訴人(附帯控訴人)佐藤正人との間に生じた分は同被控訴人ら(同附帯控訴人ら)四名の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。被控訴人らの申請をいずれも却下する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決及び「附帯控訴として追加的に変更された附帯控訴人らの申請を却下する。」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。」との判決及び附帯控訴として、附帯控訴人菅田泰介については新たに、同附帯控訴人を除くその余の附帯控訴人らについては原判決申請の趣旨第二項記載の金員の支払を求める部分を一部減縮し、かつ追加的に変更して、「控訴人は、被控訴人らに対し、それぞれ別紙債権目録(一)及び(二)記載の金員を支払え。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び疎明関係は、次に付加するほか原判決事実摘示(ただし、原判決一〇枚目表一〇行目「増々」を「益々」に、同一九枚目表二行目「放遂」を「放逐」に、同行目「やむない」を「やむをえない」に、同三一枚目裏二行目「極所的」を「局所的」に、同六行目「(三)(ホ)(2)<1>」を「(三)(ロ)(2)<2>」に、同三四枚目表末行「菊池」を「菊地」に改め、同枚目裏七行目から八行目にかけて「の一及び二」とあるのを削除し、同事実摘示中「戦斗力」「斗争」または「春斗」の各「斗」を「闘」と訂正する。)と同一であるから、これをここに引用する。

被控訴代理人は、次のとおり述べた。

一、被控訴人菅田を除くその余の被控訴人らについては、原判決によつて本件解雇時の給与の支払いが命ぜられ、控訴人から別表会社の支払つた給与額欄記載の給与の支払いを受けている。また、被控訴人菅田は、昭和四三年九月三〇日小野田セメント労働組合(以下、組合と称する。)津久見支部の専従が解除になり、控訴人と組合間の合意により、被控訴人菅田に本件解雇当時の給与が同年一〇月一日以降支払われることになつた。

二、ところで、被控訴人らが解雇されなかつた場合、別表記載のとおり昇給しているところ、物価は著るしく上昇し、解雇時の給与では到底生活をすることができず、また被控訴人らは解雇以来一時金の支払いは全く受けていないが、一時金は日常の生活費の不足をまかなう意味をもつものであり、一時金の支払いがなければこれまた生活を維持することが困難である。しかして、被控訴人らの昇給分を含む未払給与額は別表未払給与額欄記載のとおりであり、被控訴人らの支払いを受け得べき一時金の額及び算定の基礎は別紙債権目録(二)及び別表記載のとおりである。

三、よつて被控訴人菅田を除くその余の被控訴人らについてはすでに支払いを受けた金員を減縮し、昇給分及び一時金を含む給与の、被控訴人菅田については新たに給与の各支払いがなさるべく、本申請に及んだ。

控訴代理人は、次のとおり述べた。

被控訴人ら主張の前記事実中第一項は認める、第二項中控訴人が一時金を支払つていないこと、被控訴人らに関する仮定的給与額及び一時金の額の計算方法及び算出金額は認めるが、必要性は否認する。

(疎明関係)<省略>

理由

第一、当裁判所も、控訴人の雇傭関係終了の主張のうちいわゆる「一人一通運動」による公職選挙法違反の行為が控訴会社の就業規則第五八条第五号及び第八、第九号所定のいずれの懲戒解雇事由にも該当しないものと判断するが、その理由は次に附加訂正するほか原判決理由記載と同一であるから、同三五枚目表五目行から四七枚目表五行目までをここに引用する。

原判決三六枚目裏一〇行目「一号証」の次に「乙第一六号証の一ないし三、第一八号証、第二三、第二四号証、第四〇ないし第四三号証、原審証人川野敏和の証言により真正に成立したものと認むべき同第二二号証の一、二」を、同一一行目「同川野敏和」の次に「当審証人立川両昭、同遠見孝雄」を、同四二枚目表五行目「(1)」の次に「前掲乙第四一ないし第四三号証」を加え、同四二枚目表七行目及び同枚目裏二行目の各「菊池」を「菊地」に訂正し、同四三枚目表一〇行目「(1)の点」以下同四四枚目表五行目「更に」までを削除し、同枚目表八行目「明確でないし、」の次に「成立に争いのない乙第三八号証の一ないし六、第三九号証によると、昭和四〇年七月当時工場内のベルトコンベアのベルトに損傷が目立つて多くなつたことが認められ、前記証人遠見孝雄の証言によると、右ベルト損傷の原因は従業員がいわゆる一人一通運動についての警察での取り調べのため動揺し、工場内のパトロールが完全に行なわれなかつたのではないかというのであるが、右証言は多分に推測に基づくものであつてにわかに措信し難く、」を加え、同四五枚目表一〇行目「しかし」より同枚目裏五行目「また」まで及び同四六枚目裏一一行目冒頭以下同末行「以上」までをそれぞれ削除する。

第二、出荷阻止事件について。

一、成立に争いのない乙第七号証の一ないし三、第八号証の一ないし六、第九、第一〇号証の各一、二、第一一、第一二号証、原審証人小川泰宏の証言により真正に成立したものと認むべき乙第一三号証の一ないし三、原審証人西村茂人の証言により真正に成立したものと認むべき乙第一四号証の一、二、原審証人安部成一、渡辺秀雄、小川泰宏、西村茂人、有田穣、古瀬真琴の各証言及び原審における被控訴人菅田泰介(第一回)の本人尋問の結果を総合すると、一応次の事実が認められる。

昭和三八年頃からわが国のセメント市況は設備の過当競争及びコストの低下により悪化し、セメント業界は軒並不況の波に洗われたこと、控訴会社もその例外たりえず、昭和三九年下期決算においては一四億八千万円の赤字を出すに至り、会社再建が当面の緊急課題となつたので、控訴会社は緊急再建対策案を立案し、会社業務の全般にわたり対策を講じたが、その効果が上らず、依然欠損状態のまま昭和四〇年当初頃においては危機に瀕し、利益配当もできなくなつたこと、かかる状況下にあつて小野田セメント労働組合(以下、単に組合と称す。)は同年二月二七日いわゆる春闘の統一要求として平均六、〇〇〇円の賃上げ並びに同年上期(夏期)一時金八〇、〇〇〇円の支給を控訴会社に呈示し、以後労使間において右の緊急対策案とともに、前後三〇回にわたり協議を重ね、その過程においては組合側が右要求貫徹のため同年四月一四日から五月七日にかけて三波にわたるストライキ及び超勤拒否等の争議行為に出たこともあり、賃上げについては同年六月八日金二、〇〇〇円で妥結をみるに至つたものの、右一時金については同業他社は殆んど解決をみていたのに、控訴会社はいまだ妥結点に達せず、遂に組合は右一時金支給貫徹の目的のもとに再び争議行為に突入し、同年七月一五、一六日の両日全面ストライキを、同月二一、二二の両日は出荷部門のストライキを実行したが、さらに同月二三日にも全面ストライキを実施する旨の予告をなしたこと、なお、控訴会社の前記緊急再建対策案における労務対策によると、昭和四〇年度においては賃上げ零、同年上期一時金五〇、〇〇〇円という従来からみれば控訴会社の従業員にとつてきわめて厳しい内容のものであり、一方組合側の前示春闘要求はセメント会社の労働組合の統一要求であり、これらの他社は賃上げにつき金二、八〇〇円から三、〇〇〇円で、一時金については平均六八、〇〇〇円で妥結していたが、控訴会社は賃上げについては前記のとおり金二、〇〇〇円であり、一時金については同年七月二三日の争議に至るまで金五一、〇〇〇円の呈示をなしたにとどまつたこと、ところで控訴会社のセメント製品の販売体制はその七割を控訴会社との間に特約を結んだ販売店(特約店)に依存していたが、同年上期は前示不況のためセメントの供給過剰で需要者の争奪が激しく、右販売店は需要者確保に強い努力を要請された時期であり、右確保のためにもさらには売掛金回収のためにも控訴会社からセメント製品の供給が円滑になされることが必要であつたこと、しかるに前記のとおり数波におよぶストライキによる出荷停止によつて右販売店の間には需要者に対する信用問題も起るなどかなりの動揺も生じており、控訴会社に対して販売店返上あるいは代金決済の棚上げなどを要請する苦情が持ち込まれ、さらには販売店の間から争議の早期解決を要請するなどの突き上げが行なわれたこと、特に同年七月頃は例年より永引いた梅雨がやつと明けてこれから需要が延びようとする時期で、市況もやや明るさを取戻しつつあつたいわば商機であつて、この機会を逃がしてはとの販売店の思惑もあつたこと、右のような事情もあつて、控訴会社は旧来組合のストライキに際し自ら出荷業務を行なつたことはなかつたけれども、今回はこれ以上出荷を停止していては益々赤字が累積し、一層の経営悪化をもたらすばかりであり、この際は控訴会社自らの手によつてでも出荷をする必要があるとの判断に立つて同年七月二〇日遂に会社の非組合員である管理職及び従来から通常の出荷業務に使用している下請業者のみによつて全工場の出荷作業を行うことに決定し(ちなみに、成立に争いのない乙第三号証の一の基本労働協約によると、その第四八条に争議中会社は組合の承諾なしにあらたにほかの者と労働契約も請負契約もしない旨の労働協約がある。)、控訴会社は右事項並びに出荷妨害行為に対する厳重処分の方針を組合側に通告したこと(控訴会社から組合に対し出荷する旨の通告があつたことは、争いがない。)、これに対し組合は直ちにピケツテイングをもつてこれを阻止することを決めてこれを控訴会社に予告したこと。

以上の事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足りる疎明はない。

二、本件津久見工場が二工場を有し、従業員八八〇名を擁し、会社全体の生産量の三〇パーセントを占める会社最大の工場であるが、昭和四〇年七月二三日の本件争議当日は第一工場から五七〇トン、第二工場から一〇、五〇〇トンのセメントをいずれも船積出荷する予定であつたことは、当事者間に争いがない。

しかして叙上認定事実に成立に争いのない乙第六号証の一ないし七、第三三号証、第三五号証、第四一ないし第四三号証、当審証人立川両昭の証言により真正に成立したものと認むべき同第三二号証、第三四号証、原審証人鈴木喜一郎、同高良仁人、同小野英、同西村茂人、同竹田文男(第一回)、同古瀬真琴(ただし一部)、同渡辺尚憲(ただし一部)、同梶畑通男、同菊地央、同片岡幹夫、同伊藤銓三、当審証人立川両昭、同石堂二、同遠見孝雄、同三戸章正の各証言、原審における被控訴人菅田泰介(第一、二回)、被控訴人佐藤正人、被控訴人足立靖彦(第一回)、原審及び当審における被控訴人後藤一十郎(原審については第一回)、被控訴人中津留照武(原審については第一回)の各本人尋問の結果(各本人尋問の結果についてはいずれも一部)を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  管理職をもつて出荷する旨の控訴会社からの指令を受けた津久見工場においては、昭和四〇年七月二一、二二日の両日にわたり同月二三日の出荷対策を検討することとなり、工場長以下課長、副課長に至る管理職一六名と従来から控訴会社の下請として船上作業に従事して津久見工場に出入りしていた大分海運株式会社(以下、大分海運と称す。)の組夫六名の応援を得てセメントを運搬船にばら積みすることによる出荷を計画し、工場事務所に本部を置いて工場長以下三名が出荷の指揮及び外部との連絡にあたり、第一工場においては第一生産課長鈴木喜一郎以下同課高良、米田両副課長その他商務課長ら五名の管理職をもつて同工場岸壁に接岸予定の二七〇トン及び三〇〇トン積みの運搬船二隻にセメントを積み込むこととし、その積み込みの方法としては、同工場中央附近にある第一包装所出荷室の建物のサイロ前に設置してある電気スイツチ及び同工場東端の岸壁の前の配電室内に設置してある電源スイツチその他の電気スイツチを操作することによりサイロ附近のバケツトエレベーター、スクリユウコンベア、チエインコンベア、右出荷室より岸壁に至るベルトコンベア及び積込機を作動し、サイロに貯蔵されているセメントを曳出し、これをベルトコンベアに乗せて運び出し、これを船に積み込むことになるのであるが、鈴木課長、高良、米田両副課長が主体となつて右操作を担当し、他の二名が右作業を補佐することと定め、しかして普通であれば作業員三名で約五時間で積み込みが完了するのであるが、不馴れのため右出荷に七時間を予定した。そのため前日の二二日には、高良、米田両副課長は、同工場の機械設備及びスイツチ類を点検し、配電室、倉庫の鍵については守衛立会のうえ交付を受けて自ら保管していた。第二工場においても、工場次長三戸章正、小形工場長代理、第二生産課長片岡幹夫、同課梶畑副課長その他試験課長ら七名の管理職をもつて同工場岸壁に接岸予定の一〇、五〇〇トン積みの運搬船一隻にセメントを積み込むこととし、その積み込みの方法としては、同岸壁の手前約二二メートルの地点にある野島出荷室内に設置されている配電盤上の電気スイツチを操作して接岸中の船にセメント輸送機を接続し、次いでスイツチを操作してサイロからセメントを曳出し、これを船内に積み込むことになるのであるが、最初に輸送機を船に接続すれば、その後は殆んど自動的に積み込みが可能なため右管理職を二班に分けて交替で作業を担当することにし、右積み込みには約一八時間を要するところ、不馴れのため当日は約二〇時間を予定していた。なお大分海運の組夫六名の内二名を第一工場に、四名を第二工場に割り当て、同人らに船上作業を担当させる予定で同会社に対しこれが応援を要請していたが組夫については仮にその応援が得られないとしても、前記管理職のみで十分に出荷をなしうる態勢をとつていた。そして予測される支部の出荷阻止闘争に対する方針として、不測の事態の発生を回避するためにも、あくまでも組合員を説得することによつて出荷を実現させる方向に持つて行く方針を採つた。

(二)  組合本部としても、出荷阻止をするということは始めてのことでもあつたので、当時争議のため東京にある組合本部に設置されていた拡大中央闘争委員会(本部執行部執行委員及び各支部支部長で構成される。)においては、(1)右出荷阻止はピケッテイングをもつてこれに当る。(2)右ピケッテイングは団結の示威を背景としてできる限り説得によつてこれを行なう、(3)その方法としてはピケ隊に説得員を配置し、これをピケ隊の前方に置いて会社側の説得に当る。(4)ピケッテイングの具体的方法、ピケ隊の人員及びその配置場所等については各支部の決定に委ねる、(5)各支部には紛争防止のため弁護士を配置する等の基本方針を定め、同月二一日これを各支部に指令した。右指令を受けた津久見支部においても、被控訴人菅田を除く被控訴人らは同月二二日午後五時から支部闘争委員、ピケ隊の行動隊の班長、副班長、連絡委員等を集めて右指令を同人らに報告し、そして当日開催の支部闘争委員会において翌二三日のピケ隊の配置場所、その人員等を定め、第一工場においては第一包装所出荷室の建物附近に約一五〇名の組合員を、配電室の建物附近に約五〇名の組合員をそれぞれ配置し、第二工場においては約一五か所の要所要所に約四〇〇名のピケ隊員を配置し、特にセメントを積み込むための操作をする配電盤の格納されている野島出荷室の建物の附近及び右建物と岸壁との間には右の内約二七〇名を配置し、第一工場の説得員を被控訴人後藤、同佐藤、第二工場の説得員を被控訴人足立、同中津留とすることを定めた。

(三)(1)  ところで同月二三日午前五時頃先づ出荷作業の応援のため大分海運の山崎副係長が第一工場正門まで赴いたところ、すでに正門附近に一四、五名の組合員が来ていたので、構内に入ることを求め、被控訴人後藤とも交渉したが、同人に入構を拒否されて構内に入ることができず、同日午前七時頃にも同会社の加茂副係長ら三名が同じ第一工場正門まで赴いて構内に入ることを求めたが、前同様そこにいた組合員約三〇名に拒否されて入構できず、次いで同日午前八時頃同会社副社長石堂二が組夫二名と共に同所に赴いたところ、附近に待機してピケを張つていた約三、四〇名の組合員が一斉に立上り、構内に入れないぞといつた素振りを示した。そこで右石堂がピケ隊の前面にいた被控訴人後藤に対し出荷の応援に来た旨を告げて入構を求め交渉を重ねたが、被控訴人後藤は、「強引に突破すれば阻止する。」「包装現場には相当のピケ隊員がいるから、作業現場には近づくことができない。」旨述べたので、これ以上押し切つて構内に入ることを断念した。

(2)  電気スイツチの設置されている前記第一包装所出荷室の建物には出入りにつき障害となるものがなく、自由に出入りできる構造となつていたが、同建物附近に約一五〇名の組合員が、同工場北側の配電盤の格納されている配電室には出入口があり、これには施錠されていて自由に出入りができないが、同建物附近に約五〇名の組合員が配置され、同建物の出入口前にはいわゆるバンコと称し約四名位が掛けられる簡略な木製の長椅子が置かれていたが、右管理職が同日午前七時三〇分頃出荷のため先づ立入ることを必要とする右配電室に近づいたところ、附近にいた約五〇名の組合員らは直ちに集結してその出入口前に三列ないし四列の横隊になつて人垣をつくり、その中央前方に被控訴人佐藤がいて、右管理職が来るのを待ちかまえていた。そこで鈴木課長が被控訴人佐藤に対し「今からわれわれ管理職と下請業者の手でぜひとも出荷をするのであるが、組合員が建物や機械を占拠しているとそれができないので退去してもらいたい。」旨要求したところ、被控訴人佐藤は、「自分の一存では応じられない。」「支部闘争委員会で協議のうえ返答する。」旨回答するので、管理職も右返答を待つため一旦生産課事務所に引揚げて待機していた。その後午前八時三〇分頃から午後二時頃までの間鈴木課長ら管理職は五回にわたり出荷作業のため右配電室前まで赴いたが、第一回と同様配電室前はピケ態勢がとられており、その都度鈴木課長と組合側説得員との間に前記の返答を要求し、また退去を求めたのに対し、組合側では、「まだ検討中である。」「出荷は阻止する。」等と返答し、第五回には被控訴人佐藤、第六回には被控訴人後藤が何れもピケ隊の責任者として、「職場ピケは違法ではない。われわれは職場を守るためあくまで出荷を阻止する。」と言つて出荷をあくまで阻止する態勢を示したので管理職としても実力をもつて配電室及び出荷室に入ることは到底至難であると考え、止むなく出荷を断念し、その場を引揚げた。尚その間の交渉過程で午前一〇時三〇分頃鈴木課長ら三名が連絡のため配電室前の現場を離れ、組合員らも配電室前のピケ態勢を緩めてその附近に屯していた際、同配電室から若干離れた地点で現場に残留していた高良副課長がすきをみて、鍵を手にして同室出入口の扉に近付こうとしたところ、同所のピケ隊の責任者であつた牧支部闘争委員がこれをさえぎつて制止したこともあつた。

(四)(1)  第二工場においても、同日午前五時三〇分頃大分海運の西村副課長ほか二名の職員が同工場に出向いてきたが、同工場正門附近にいた支部闘争委員らによつて入構を拒否され、右西村副課長と被控訴人中津留との間に約三、四〇分にわたり交渉を重ねたが結局同人に入構を拒否されて目的を達することができなかつた。

(2)  また、同日第二工場で出荷を予定していた三戸章正工場次長ら七名中一名を工場長との電話連絡のため事務所に残して先づ五名の管理職が午前七時一〇分頃出荷のための機械を操作する配電盤の格納された野島出荷室の方に赴いたが、その途中で待機していた被控訴人足立ほか二、三名の組合員がきて管理職らの前に立ちどまつてその通行を阻止した。そこで三戸次長が被控訴人足立に対し出荷の意思を伝えたところ、同人からは「支部としてはお断わりする。ここで話をつけようじやないか。前方の野島出荷室前の岸壁あたりには三〇〇名以上もの組合員が結集して非常に緊張した空気に包まれている。そこに管理職がそのような格好をして出かけて行つたならば、どういう事態が起るかも判らない。その責任は一体会社側がとるつもりなのか。」との発言があつた。しかしながら、三戸次長は工場側としても固い決意のもとに出荷に臨んでいるので、これを押切つて野島出荷室の方に進みながら被控訴人足立に対し、会社が極めて緊迫した情勢にあることを説明して、組合側の協力を求め、なおも押問答を進めつつ野島出荷室の西北角あたりまできたところ、被控訴人足立は管理職の前に立ちふさがり、同人から「もうここまでだ。これから先は一歩も行つてもらつては困る。ここで話をつけようじやないか。」との発言があり、押し問答をしているうちに本件争議に応援にきていた支部組合員以外のいわゆる社外応援団体約三〇名のものが、管理職らを取りかこみ、主として三戸次長と被控訴人足立とのやりとりを聞きながら、その団体員の中から「会社側が出荷をすれば、われわれ部外者としても全力をあげて組合を支持する。」とか「スキヤツブだ。不当労働行為だ。」との発言があつた。その間にあつて三戸次長は、会社の窮状を告げ、どうしても出荷しなければならない事情があることを話して、約四、五〇分にわたつて押し問答を続けていた。右地点から約三、四〇メートル先の野島出荷室と積み込み予定の船がけい留されている岸壁との間の広場には約二〇〇名のピケ隊員が配置されており、これらの組合員が右交渉現場から見えかくれしていたが、この回はこれ以上交渉を続けても効果がないものと判断し、工場長の指示を仰ぐべく午前八時二〇分頃交渉現場から約三〇メートル手前の地点まで引揚げた。

なお管理職が後方に引揚げる頃野島出荷室前の広場にピケを張つていた組合員は決起集会を開き激励演説を代る代るやつてそれが終ると一同四列縦隊となつて笛を吹いてジグザグデモを始めワツシヨイワツシヨイと掛声をかけて管理職が待機していた近くまできて喚声をあげて引揚げるという一幕もあつた。ところで管理職は、右のとおり交渉の大部分が社外の応援団体の人達の発言で占められ、支部の代表者自身とも十分交渉することができなかつたので、これら社外団体を排除しなければ組合員を説得して出荷を行なうことは不可能と判断し、右方針のもとに午前九時頃再び三戸次長以下管理職六名は野島出荷所の方に赴いたところ、またまた被控訴人足立に前記交渉場所附近で停止をかけられた。そこで三戸次長は右方針に従つて先づ部外者に対し敷地外に退去してもらいたい旨を告げ、次いで被控訴人足立に対し、「組合の最高責任者と話をしたいので、被控訴人中津留を呼んでもらいたい。」旨申入れたところ、被控訴人足立は自分が無視されたものとみて、「自分は特別執行委員として経営協議会や組合の重要な会議には必ず出ている。自分を代表と認めないのか。」と言つてやや興奮して気色ばむ場面もあつたが、結局同被控訴人と交渉をもつことにし、同被控訴人に対し、前回同様に「不法占拠だから退去してもらいたい。」旨要求したが、これを拒否され、さらには三戸次長からの「出荷を強行すればどうするか。」との質問に対し、被控訴人足立は「やつてみますか。」と答えて暗に出荷を強行すれば組合側もこれに対抗して何らかの行動にでる決意あることを示し、さらにまた今回目的とした社外応援団体の排除もできず、右団体の労働者も「絶対会社側には勝手なことをさせない。」旨発言し、一時間近く押問答のすえ結局この回も野島出荷室に近づくことができないまま話合を断念して一時後方に引揚げた。当時はすでに控訴会社の田原、藤原及び大船渡の各工場においては組合との話合もついて出荷に入つている旨の情報が入つていたので、三戸次長ら管理職は組合員にこのことを知らせて説得を試みれば、あるいは組合員も納得して出荷ができるかもしれないと判断し、午前一一時頃再び前回と同一地点に赴き、被控訴人足立に対し、「組合員に直接話したい。」と申し入れたところ、被控訴人足立はやや声を荒げ、「組合の組織を無視するのか、われわれは組合の代表だ。」といつてこれを拒絶したので、やむなく被控訴人足立と交渉を開始した。今回は社外の応援団体の労働者は交渉の場にはいなかつたが、三戸次長は会社の窮状を訴え、津久見以外の他工場の出荷状況をただし、あるいは不法占拠だから退去してもらいたい旨訴えて説得を試みたが、被控訴人足立は「会社の経営不振は経営者の責任であり、他工場の状況は支部の得た情報の範囲内ではいずれも出荷阻止がなされており、職場占拠は適法である。」など応答があつた。その頃被控訴人中津留及び被控訴人佐藤も右交渉現場に来ていたので、同人らを交えてさらに交渉を続けたのであるが、右交渉がなされているとき、野島出荷室前に集結していた組合員ら約二〇〇名が社外応援団体の一員の指揮のもとに四、五列の縦隊を組み、笛を吹きワツシヨイワツシヨイと掛声をかけてジグザグデモをしながら駈足にて一団となつて移動してきて交渉中の三戸次長以下管理職六名と被控訴人足立、同中津留、同佐藤の周囲を初めは遠巻きにし、次第に管理職らの身体がお互にぶつかり合う位にその輪を縮め約一〇分間にわたつて渦巻きデモを始め完全に包囲された形になり、管理職の中には前に押し出されるものもいた。その間交渉もできない状態であつたが、右被控訴人らはそのデモを制止してとめるでもなく、そのなすがままに任せていたが、右デモが終つてデモ隊の一部は出荷室前の広場に戻り、一部のものはその場にとどまつて双方の交渉を立ち聞きしているものもあつた。しかして今回もこのような状態であつて管理職らは出荷に着手することもできないままやむなく生産課の事務所まで引揚げた。そこでさらに工場長の要請もあり、再び午後零時三〇分頃から三戸次長以下の管理職六名は出荷のため野島出荷室の近くまで車で赴いたが、前回同様交渉現場附近にきたとき被控訴人足立から車での進行をはばまれたので、その場で三戸次長以下管理職が下車して被控訴人足立に対し、出荷につき支部の再考を求め、阻止態勢を解くよう要請したが、同人はこれを拒否し、説得に応ずる気配も認められなかつたので、その場から引揚げざるを得なかつた。

(五)  このようにして管理職らは長時間にわたり交渉を重ねたにもかかわらず、第一、第二工場ともに現場における話合によつては出荷を実現することは不可能であり、さりとて多勢に無勢であつて押し切つて出荷を強行することもできえない状態であつたので、最後に残された唯一の方法として、労務に関する問題についての労使双方の交渉の場として同工場に設置されている工場協議会を開催し、あるいはここでの話合によつて出荷を実現することができないかと考え、当日午後二時三〇分頃支部に対し右協議会の開催を申し出た。そこで支部は直ちに組合本部に連絡したところ、同本部に拡大中央闘争委員として滞在していた被控訴人菅田から「出荷をすることを前提とする開催要求であれば無意味であるから、右協議会の開催を拒否せよ。」との指示があつたので、支部としても右申出を拒否することに決定してその旨を管理職側に通告したため、右協議会も開催できず、結局支部との交渉による出荷の余地は全くなくなり、他に適当な対策も見出しえないところから、管理職らは当日午後四時三〇分頃に至つて自らの手による出荷を断念するに至つた。

(六)  被控訴人中津留は当時津久見支部の副支部長であり、本件争議における支部闘争委員会の委員長として支部組合員を指揮掌握するとともに、第二工場における説得員として同工場のピケ隊員を指揮していた。被控訴人後藤は支部の副支部長であり、支部闘争委員会の副委員長として第一工場における説得員の役割を分担して同工場のピケ隊員を指揮していた。被控訴人佐藤は支部の書記長であり、支部闘争委員会の副委員長として被控訴人後藤とともに第一工場の説得員の任務を分担し、同工場のピケ隊員を指揮していた。被控訴人足立は支部の特別執行委員であり、本件争議に際しては支部闘争委員会の委員となり、かつ第二工場の説得員として同工場のピケ隊員を指揮掌握していた(以上の事実については当事者間に争いがない。)。尤も特別執行委員という制度は組合の規約上は存在せず、たまたま被控訴人足立が昭和三九年大分県議会議員に当選して会社が休職となつたため、中央委員会において特別執行委員なるものに選任されたものであり、従つて執行委員会が開催される場合には議決する権限は有していないが、その通知を受けてこれに出席し、執行委員に準じた取扱いをうけ、本件争議を実施するについても執行委員会に出席して右計画に参画していた。被控訴人菅田は津久見支部支部長の地位にあり、組合本部の拡大中央闘争委員会の委員をも兼ねており、争議当時東京本部に駐在しており支部長たる立場において同支部と電話連絡をしていた(被控訴人菅田に関する以上の事実については、当事者間に争いがない。)。しかして被控訴人菅田は右電話連絡の方法により拡大中央闘争委員会において決定された事項についてはこれを支部に伝達していた。

以上の事実を一応認めることができ、右認定に反する甲第八号証の記載、前記証人古瀬真琴、渡辺尚憲の各証言及び被控訴人らの供述は前掲証拠に照らして措信し難い。

三、以上の疎明事実によれば、本件第一工場第二工場におけるピケツテイングは被控訴人ら(被控訴人菅田を除く)において企画指導したものと認めるのが相当である。

ところで一般に労働組合がストライキを行なうに当り、これに対して使用者側が行なう出荷活動を阻止すべく組合の統制下にピケッテイングを実施することは、ストライキの効果を確保するために必要な手段であつて、これが平和的説得を建前とする限り争議権の行使として法的にも保障されているものと解すべきところ、叙上事実に徴すれば、津久見工場でなさんとした管理職による出荷は労働協約に違反するものではなく、またこれに対して組合本部が各支部に指令したピケツトの方法による出荷阻止も積極的妨害行為を実行することを内容とするものではないので何ら違法の点は存在しないけれども、被控訴人中津留、同後藤、同佐藤、同足立が支部において企画指導した行為は本部の指令の範囲を逸脱し、あくまでも管理職による出荷を阻止するとの前提のもとに多数の威力を背景にして管理職の自由意思を制圧し、もつて当初の目的を貫徹したものであつて、これら行為は平和的説得の範囲をこえた違法のものといわざるをえない。

そうだとすると、右被控訴人四名のとつた行為は就業規則第五八条第五号の勤務時間中にほかの社員に対して暴行を加えまたは脅迫してその業務を妨害したもの、第八号の犯罪行為があつてその情状の重いものには該らないとしても、第九号の右各号に準ずるふつごうな行為があつたものに該当するものというべきである。

次に被控訴人菅田のとつた行為について検討するに、被控訴人菅田は本件争議期間中は拡大中央闘争委員会の委員として東京本部に駐在していたものであり、同委員会で決定した事項はこれを津久見支部に伝達しており、同支部の支部長たる立場において同支部に対してピケツトによる出荷阻止を指令し、同支部との間にたえず電話連絡をとつていたことは前段認定のとおりであるけれども、組合本部が各支部に指令した出荷阻止行為の内容自体においては何ら違法の点が存しないものであることは右説示のとおりであり、また各支部のなす争議の具体的内容方法については各支部闘争委員に一任されていたのであつて、被控訴人菅田がこれに関与したことについては疎明がない。また津久見工場側から支部に対し工場協議会の開催が申し入れられたことにつき、組合本部として、右申し入れが出荷をすることを前提とするものであればこれを拒否すべき旨決定し、右指令を支部に対し発したことにつき被控訴人菅田が関与していたとしても、そのこと自体から同被控訴人において違法な争議行為に加担していたものということはできない。

そうだとすると、控訴人の被控訴人菅田に対する本件解雇については就業規則に所定の懲戒解雇事由に該当する事実は存在しないものというべきであるから、控訴人の本件雇傭関係終了の主張はいずれも理由がなく、従つてその余の点について判断するまでもなく被控訴人菅田は控訴会社の従業員たる地位を現在まで保持しているものといわなければならない。

第三、本件解雇が不当労働行為であるとの主張について。

被控訴人ら(ただし、被控訴人菅田を除く。以下同じ)は本件解雇の意思表示は不当労働行為として無効である旨主張するので、以下検討する。

一、原審における被控訴人菅田(第一回)の供述により真正に成立したものと認むべき甲第一五号証の一、二に前掲証人渡辺尚憲、古瀬真琴の各証言、被控訴人らの供述を総合すると、津久見市には大工場を誘致し、工場の新設または増設のときには固定資産税を減免することができる旨の工場設置条例が存在すること、しかして、津久見地区労働組合連合会、革新議員団が、右工場設置条例によつて利益を受けるのは会社側だけであつて、かえつて右条例によつて津久見市の財政が圧迫され、住民福祉の政治ができなくなることを理由に、昭和四〇年春頃から市民の署名を集めて市議会を開催し、この中で工場設置条例を改正または廃止にもつて行く運動を展開していたこと、支部組合も右労働組合連合会に加盟し、被控訴人後藤は当時津久見市議会の議員として、被控訴人足立は大分県議会の議員としていずれも右運動を支持していたことが一応認められる。しかしながら、会社側がこれら支部組合の行為を許し難いものとし、被控訴人らを敵視していたことを認めしめるに足る疎明はない。

二、成立に争いのない甲第九号証の三、第一九号証、前掲被控訴人菅田の供述により真正に成立したものと認むべき同第九号証の四及び右供述を総合すると、控訴会社は昭和四〇年一一月二日の第八八回中央協議会の席上従業員約八〇〇名につき希望退職者を募集することを含んだ合理化案を提案したこと、そして希望退職者を募集したところ七〇〇名を超える希望退職者が出たにもかかわらず、その後の中央協議会で控訴会社はさらに指名解雇を行うことを発言し、同年一二月津久見支部において六八名を指名解雇する旨の予告通知がなされたこと、そして組合と交渉を重ねた結果、最終的には五九名が指名解雇され、内九名が希望退職に切替えられたが、これら指名解雇を受けたものが支部組合のみに出され、新たに結成された労働組合からは出されなかつたことが一応認められる。

被控訴人らは、控訴会社のした右指名解雇の意図するところは、対外的には会社の営業政策の失敗に対して金融機関等に対する申訳、会社再建の姿勢を示すことのためであり、そのためにかねて嫌悪していた津久見支部をその犠牲として選び、右に便乗して同支部を一挙に崩壊させようとすることにあつた旨主張し、甲第九号証の二ないし四、第一九号証、第二〇号証の一、二、第二一号証、前掲証人古瀬真琴、渡辺尚憲の証言は右主張に副うものであるが、これらの資料は弁論の全趣旨に照らしてにわかに措信し難く、他に右事実を認めしめるに足りる疎明はない。

三、成立に争いのない甲第一三号証、前掲証人渡辺尚憲の証言により真正に成立したものと認むべき同第一〇号証の一、二、第一二号証に同証人渡辺尚憲、前掲証人古瀬真琴の各証言を総合すると、昭和四〇年八月二〇日津久見支部に新労働組合が結成されたこと、右新労働組合において選出された役員の約半数が係長、班長等の役職者をもつて占められていること、新労働組合が結成された日から同年九月一五日までの間の組合員数八八一名中支部組合員数四三七名に対し、新労働組合員数四四四名であつたものが、その後も支部組合を脱退して新労働組合に加入するものが絶えず、昭和四一年一月一五日現在において支部組合の組合員数が一九五名に減少したのに対し、新労働組合の組合員数が五九八名までに増加したことが認められる。しかして被控訴人らは、右新労働組合の結成大会が管理職及び管理職の要請に基づき入門した警察官のパトロールの庇護のもとに会社の就業時間中約二〇〇名の従業員が参加して開かれたこと、また新労働組合が結成された後も管理職が従業員に対し新組合へ加入することを勧誘した旨主張し、右に掲記の疎明資料は右主張に副うけれども、これらはにわかに措信し難く、控訴人が支部を孤立化させ、その力を減殺しようとする意図を有し、これを実行したことを認めしめるに足りる疎明はない。

四、前掲被控訴人菅田の本人尋問の結果によると、控訴人が本件解雇の意思表示をした後は、被控訴人らに対し団体交渉その他の集会を行うに際し、第一、第二工場のある特定した場所にのみ立入ることを認め、それ以外の場所には立入りを禁止したことが認められる。ところで解雇の意思表示を受けた以上、会社から一般の従業員とは異つた扱いを受けることがあつてもやむをえないものといわなければならない。しかし、控訴人は被控訴人らが解雇されたことを理由に同人らとの団体交渉を拒否した事実を認めるに足りる疎明がないのみならず、被控訴人ら主張の控訴人が被控訴人らを無視することによつて支部組合員と被控訴人らとを分断し、ひいては支部を弱体化することによつて第二組合の拡大を企てたことを認めるに足る疎明はない。

五、成立に争いのない甲第一一号証の一、二に前掲証人古瀬真琴の証言、被控訴人菅田の本人尋問の結果によると、津久見工場においては昭和四〇年一一月一六日約二六名の人事異動がなされたこと、このうち一九名が支部組合の、七名が新労働組合の組合員であること、また昭和四一年一月五日なされた人事異動(昇格)において従来役職のなかつた約一二名のものが新たに副班長の役職につき、それらの者がいずれも新労働組合の組合員であつたことが一応認められる。

被控訴人らは、右人事移動においては支部組合員が不利益な扱いを受けたこと、また支部組合員中には昇格の有資格者がいたにもかかわらず、これらの者が無視された旨主張し、右証人古瀬真琴の証言、被控訴人菅田の供述は右主張に副うけれども、右供述等から支部組合員のみが不利益な取扱いを受けたものと断定することは困難であり、他にこれを認めしめるに足る疎明はない。

六、被控訴人らは、津久見工場以外の他工場においても本件と同様の出荷阻止が、また昭和四一年の春闘に際し小野田工場において本件同様の出荷阻止がなされたにもかかわらず、いずれも懲戒権が行使されなかつたが、右は本件解雇とも矛盾する旨主張するので検討するに、昭和四一年の春闘に際し小野田工場において本件と同様の出荷阻止がなされたことについてはこれを認めるに足る疎明はないし、前掲証人小川泰宏の証言により真正に成立したものと認むべき乙第一三号証の三、四、同号証の五ないし一二の各イ、ロ、被控訴人菅田の供述により真正に成立したものと認むべき甲第二三号証に右証人の証言を総合すると、昭和四〇年七月二三日の争議当日においては、控訴会社の七工場中豪雨のため出荷が中止となつた新見工場を除いて藤原、田原、大船渡の各工場においては午前中に出荷が開始され、恒見工場においては午後二時頃から、小野田工場においては午後四時からそれぞれ出荷が開始され、また八幡工場においては座り込みが行われたが、当日中にトラツクに対する積み込みが行われたこと、津久見工場以外の他工場からは当日の争議に関して懲戒による解雇者が出なかつたことが認められるが、他工場における争議の態様は津久見工場の夫れとは異なり本件解雇が他工場の争議に比して矛盾した措置ということもできない。

以上説示のとおりであつて、控訴人の不当労働行為意思を推認させる適切な疎明資料がないので、被控訴人の主張は採用するに由ないものである。

第四、権利濫用の主張について(被控訴人菅田を除く。)。

一、被控訴人らは、津久見支部の行動は組合本部が指令したピケツトの型態、工場立入を基本とし、右指令の範囲内で行動したものであり、他支部の行動と何ら異るところはない、しかるに他支部については何らの懲戒処分もなされておらず、被控訴人らに対してのみ懲戒処分をすることは全く恣意的な懲戒権の発動であつて、権利の濫用である旨主張するけれども、津久見支部における本件出荷阻止行為は組合本部の指令をこえた違法なものであつたこと、津久見工場を除く他の七工場における出荷状況も豪雨のため出荷が不能となつた一工場を除いて出荷の時間出荷量については差異があつたけれども各工場とも当日中に出荷または積み込みをしたこと前段認定のとおりであり、右事実に徴してもあくまでも出荷を阻止する態勢をとつて遂に出荷を阻止した本件支部の争議行為につき被控訴人らに責任を問うたことは何ら恣意的な懲戒権の発動というをえず、従つて本件解雇は権利の濫用とはならないものというべきである。

二、被控訴人らは、本件争議に際して生じた渦巻きデモは支援団体の一員の指揮に基づく行動であり、第一工場配電室前において高良副課長に対してとつた阻止行為は牧支部執行委員がしたものであつて、いずれも被控訴人らの関与しないものである旨主張するけれども、被控訴人らは支闘委員会の役員又は委員として本件争議を企画実行した責任者であり、しかも被控訴人足立、同中津留、同佐藤は渦巻デモの現場にいながらこれを放任して何らの制止の措置をもとらず、また第一工場のピケの責任者は被控訴人後藤、同佐藤であつてピケ隊を掌握指揮していたものであるから、被控訴人ら指摘の実行行為も被控訴人らが企画指導したものというべく、従つて被控訴人らの本主張は採用し得ない。

三、さらに被控訴人らは、本件出荷はその必要性がなかつたものであり、被控訴人らにより出荷が阻止されたとしても、会社には損害が生じていない旨主張するが、控訴会社が多額の赤字をかかえ、経営が行詰り状態にあり、販売面においても出荷の必要に迫られていたことは前段認定のとおりであり、また前掲証人西村茂人の証言により真正に成立したものと認むべき乙第一四号証同証人の証言によると、昭和四〇年当初から本件争議前までの津久見工場のセメントの出荷量は一か月一〇万トン前後であつたことが認められ、右事実に徴し、本件争議当日予定していた一万トン余の出荷量は一か月の出荷量と対比して決して少ないものではなく、出荷中止によつて会社側の受けた損害も必らずしも僅少のものではなかつたことが推認される。

以上説示のとおりであつて、被控訴人らの権利濫用の主張は採用するを得ない。

第五、控訴人が昭和四〇年九月三日就業規則所定の懲戒解雇条項を適用して被控訴人後藤、同中津留、同足立、同佐藤に対し即時解雇する旨の意思表示をなし、同日三〇日分の賃金を提供したことは当事者間に争いがないから、本件解雇の意思表示は右被控訴人ら四名については同日限りその効力を生じ、右被控訴人ら四名と控訴人との間の労働契約は右日時をもつて終了したものというべきである。

そうだとすると、右被控訴人四名が控訴人の従業員たる地位を保有することを前提として、右地位の保全並びに解雇後の賃金仮払を求める被控訴人らの本件仮処分申請は必要性の有無について検討するまでもなく、これを認容すべき疎明を欠くものというべく、右疎明に代わる保証を立てしめて仮処分を発令することは相当でないから、右申請はいずれもこれを却下すべきである。

第六、被控訴人菅田に対する仮処分の必要性について。

被控訴人菅田が昭和四三年九月三〇日組合専従解除となり、控訴人と組合との合意により被控訴人菅田に対し、本件解雇当時の給与が同年一〇月一日以降支払われることになり、控訴人から別表記載の金員の支払いを受けたこと、被控訴人菅田が解雇されなかつた場合別表記載の計算方法で昇給すること、被控訴人菅田主張の一時金額の計算方法及びその算出額が主張の額となること、しかして、控訴人は右一時金を被控訴人に支払つていないこと、控訴人がその従業員に対し毎月二五日賃金の支払いをしていることは、当時者間に争いがない。

しかして前掲被控訴人菅田の本人尋問の結果によると、被控訴人菅田は本件解雇当時は支部の支部長であり、専従役員として組合から給与の支払いを受けていたことが認められるところ、昭和四三年九月三〇日組合専従が解除になつたのであるから、同年一〇月一日以降収入の途を断たれ、将来の生計維持も不安定な状態にあることが推認される。ところで被控訴人菅田が解雇せられることなく職場に復帰したときは同日以降は一か月金五八、二九〇円の、昭和四四年四月以降は一か月金六五、五一〇円の給料が支払われることになることは当事者間に争いがないところであるから、被控訴人菅田は昭和四三年一〇月一日以降右主張の額の給料の支払いを受けることができるものといわなければならない。尤も同日以降昭和四四年一〇月までの給料の内金五六二、三三〇円については控訴人からすでに支払いを受けたことは当事者間に争いのないところであるから、右未払給与額金二四五、九八〇円及び同年一一月一日以降本案判決の確定に至るまでの間、右賃金の限度において仮に賃金の支払を受けることを必要とする急迫な状況にあることが明らかであるが、その余の一時金の仮払いについてはその必要性がないものと認める。

そうだとすると、被控訴人菅田については本案判決の確定に至るまでの控訴人の従業員たる地位にあることを仮に定めるとともに、控訴人に対し、被控訴人菅田に前記未払額金二四五、九八〇円及び昭和四四年一一月一日以降本案判決確定に至るまで一か月金六五、五一〇円の割合による金員を既往の月分については一括して直ちに、その余の月分については一か月毎にその月の二五日限り仮に支払うことを命じ、その余の申請を却下することとする。

よつて原判決を主文第一項掲記のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 江崎彌 彌富春吉 白川芳澄)

(別表)<省略>

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